村上春樹の初の短篇集『中国行きのスロウ・ボート』には表題作『中国行きのスロウ・ボート』をはじめ『貧乏な叔母さんの話』、『ニューヨーク炭鉱の悲劇』、『カンガルー通信』、『午後の最後の芝生』、『土の中の彼女の小さな犬』、『シドニーのグリーン・ストリート』の全7篇が収録されています。

どの短篇もどこか不思議で、輪郭がハッキリとしない、いかにも村上春樹の初期の作品っぽい雰囲気。

たとえば『貧乏な叔母さんの話』。七月のある晴れた午後、突如主人公の心を捉えたのは“貧乏な叔母さん”のこと。彼は一緒にいた連れに「貧乏な叔母さんについて何かを書いてみたいんだ」と言う。しかし、彼には貧乏な叔母さんなどいない。やがて八月の半ばになり、彼は自分の背中に小さな貧乏な叔母さんが貼りついていることに気付く。彼自身は背中にいる貧乏な叔母さんの姿を見ることはできないのだが、彼の友人たちにはその姿が見えます。ただし、それは見る人の心象に従って姿を変えるようで、ある人にとっては母親であり、ある人にとっては食道ガンで死んだ秋田犬だったりする・・・というなんとも不思議な話。

この短篇集の中で私が好きなのは『午後の最後の芝生』と『土の中の彼女の小さな犬』の2篇。

『午後の最後の芝生』は、芝刈りのアルバイトをしていた大学生の“僕”が、夏のある日、大柄な中年女性の家の庭の芝生を刈りに行ったことについて書かれています。太陽がじりじりと照りつける中、僕は汗で濡れたTシャツを脱ぎ、ショートパンツ一枚になって芝刈りをします。ラジオからは音楽が流れている。昼食には女性が作ったサンドイッチを食べ、また芝を刈る。ようやく芝を刈り終えると、女性にすすめられるままビールを飲み、家の中へと入る。僕が案内されたのは、女性の娘の部屋。女性は僕に洋服ダンスやその引き出しを開けさせ、そこからイメージする部屋の主はどんな人だと思うかと尋ねる・・・といったような話。他の収録作品に比べるといたって平凡な話なのですが、庭の芝生、サンドイッチ、冷たいビール(私はアルコールは飲めませんが)といったイメージが目に浮かぶようで、暑い夏の日を思い起こさせるところが好きです。

一方、『土の中の彼女の小さな犬』は、主人公の“僕”が毎年、だいたい宿泊料金が安くなるシーズン・オフに訪れる古いタイプのリゾート・ホテルで一人の女性と出会う。やがて女性はかつて彼女が飼っていた犬の話を始める・・・。こちらはやっぱりちょっと不思議な話。ラスト近くで僕が「あなたの手の匂いをかがせてくれませんか?」と女性にお願いするのが、なんだか笑える。普通だったら断るところですよね。彼女の手はどんな匂いがしたのかは、本書で確かめてみて下さい・・・って、至って普通の答えですけど(笑)。でも、これは決して笑える話ではなく、シーズン・オフで人もまばらなリゾート・ホテルを舞台にした淡々とした物語で、余韻のあるラストが気にいっています。

中国行きのスロウ・ボート (中公文庫)
村上 春樹
中央公論社
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