毎日少しずつ、少しずつ味わうように読んでいた堀江敏幸の『回送電車』ですが、読み終えてしまいました。

冒頭の『回送電車主義宣言』には、なぜ連載の通しタイトルを『回送電車』にしたのかが書かれています。

特急でも準急でも各駅でもない幻の電車。そんな回送電車の位置取りは、じつは私が漠然と夢見ている文学の理想としての、《居候》的な身分にほど近い。評論や小説やエッセイ等の諸領域を横断する散文の呼吸。複数のジャンルのなかを単独で生き抜くなどという傲慢な態度からははるかに遠く、それぞれに定められた役割のあいだを縫って、なんとなく余裕のありそうなそぶりを見せるこの間の抜けたダンディズムこそ《居候》の本質であり、回送電車の特質なのだ。


また、堀江さんは自分がこれまで書いた本について、「書店という特定の路線上にあってなお分類不能な、まさしく回送電車的存在だったではないか」とおっしゃっています。

確かにその通りかも。堀江さんの本には、小説なのかエッセイなのかはっきりと区別できないものがあると私も感じたことがあります。その、あいまいさ加減が私は好きなのですが。

この『回送電車』も堀江さんらしい、静謐な雰囲気が漂う文章で、読んでいる間は日常の雑事などすっかり忘れて、静かな気持ちになることが出来ました。

でも、決して高尚な内容なのではなく、堀江さんが読んだ本のこと、気に入った文具や娘さんとの交流などささやかな日常について描かれているのですが、エッセイではなくまるで短編小説を読んでいるような気分になるのは、やはり堀江さんの『回送電車的』文章のせいなのでしょうか。

回送電車2、3も早く文庫化されないかなぁ。

回送電車 (中公文庫)
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堀江 敏幸
中央公論新社
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