以前『11月発売予定の気になる文庫本』に書いたように11月7日発売予定の文春文庫、沢木耕太郎の『危機の宰相』が『テロルの決算』と対をなす歴史ノンフィクションだと知り、発売前にもう一度『テロルの決算』を読み返しておこうと思っていたのですが、ようやく読むことが出来ました。

私は沢木耕太郎さんのノンフィクションが好きなのですが、実はこの『テロルの決算』に関してだけは2~3回ほど途中で読むのを断念しているのです。

『テロルの決算』は、昭和35年10月12日、日比谷公会堂の演壇に立ち演説を行っていた社会党委員長浅沼稲次郎が17歳の少年山口二矢のテロルにより刺殺された事件を描いたノンフィクションです。

てっきり山口二矢を中心に描かれた作品かと思っていたのですが、作品の半分は浅沼稲次郎の生い立ちさらには政治活動の経歴などに割かれていたため、当時の政党や政治家の名前が次から次へと出てきて、当時の政党や政治家あるいは日本の情勢なんて、日本史でほんの少し知っている程度の知識しかない私にとっては分からない事だらけだったのです。
それで、途中で何となく読むのを中断して他の本に浮気したりするうちに読んだ内容を忘れてしまい、もう一度最初から読む・・・ということを2~3回は繰り返しました。

ようやく最後まで読み終えることが出来たのは、『テロルの決算』の文庫本を買ってから数年後のことでした。ちなみに文庫本を買ったのは私が大学生の時なのでもう10年ほど前のことです。手元にある文庫本は「1977年5月30日 第13刷」となっています。

今回は久しぶりの再読となりました。それでもやはり途中は難しく感じました。

私のこの本を読む時の視点が、以前とは違ったため、読み終えた後の感想も変わりました。以前は20代前半で読んだので、年齢が近い二矢よりの目線で読んでいたと思うのですが、30代になって読んだ今回は、二矢でももちろん浅沼でもなく、気付いたら二矢の母と浅沼の妻という二人の女性の目線で読んでいました。

二矢の母も浅沼の妻もそれほど作品の中に登場してくる訳ではないのですが、読み進めるにつれ自然と自分が二矢の母ならあるいは朝沼の妻ならという目線になっていました。
そのため、終盤とうとう二矢がテロルを決行した後、新聞記者が家に押しかけてきて二矢の父がインタビューに応答しているのを隣の部屋で聞いていた母が声を殺して泣き伏して「こんなことをしたのだから、死んでくれればいい・・・・・・」と呻くように言ったのも、ニュースで浅沼が刺されたことを知った妻が、病院に運ばれ既に息を引き取っていた浅沼の為に、そうとは知らず「刺されたのなら服が汚れているだろう。早く寝巻に着換えさせてあげなくては可哀そうだ。」とバッグに寝巻と毛布をつめて家を出るという妻なら当然の行為もひどく切なく感じられました。

沢木耕太郎があとがきに次のように書いています。

年齢が作品にとって特別な意味を持つことは、あるいはないのかもしれない。しかし、五年前であったら、これは山口二矢だけの、透明なガラス細工のような物語になっていただろう。少なくとも、浅沼稲次郎の、低いくぐもった声が私に届くことはなかったに違いない。そして、これが五年後であったなら、二矢の声はついに私に聴き取りがたいものになっていたかもしれないのだ。五年前でも五年後でもない今、『テロルの決算』は山口二矢と浅沼稲次郎の物語として、どうにか完成した。


今回この本を再読して、これは、作品を書く側だけのことではなく、読む側についても言えることなんじゃないかなぁと思いました。

私は理系でも日本史好きだったのですが、好きなのは江戸時代かせいぜい明治時代までで近代、現代は苦手でした。『テロルの決算』と同じ時代を描いた『危機の宰相』を読むかどうかもう一度考えようかなぁ。

新装版が出ました。「あとがき」が追加執筆されているようです。

テロルの決算 (文春文庫)
沢木 耕太郎
文藝春秋
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