佐藤正午の『放蕩記』の文庫背表紙に「各章ごとに文体が変貌する、佐藤正午のみに書きうる傑作。」とあります。最後の佐藤正午のみに~というのは、大げさだと思うのですが、各章ごとに文体が変わるというのは、確かにその通り。

例えば第一章の「Q&A」は、その名の通り一問一答形式で、主人公の作家海藤正夫がどのような人物なのかがぼんやりと分かるようになっています。第2章で通常の文体になったと思ったら、第三章の「手紙」では、これまたその名の通りに海藤に宛てられた編集者からの手紙、その手紙に同封された海藤の小説を読んだ読者からの手紙、さらには海藤の元彼女からの手紙など、とにかく何通かの手紙だけで構成されています。

正直に言うと、こういう実験的な手法で書かれた小説は苦手です。章ごとに文体が変わることで、流れが途切れるというか、ストーリーに入り込めない気がするから。『放蕩記』を読み始めた時も、第一章の「Q.一年生になったら何するの?」、「A.やきゅう。」というQ&Aを目にした途端、この文庫を買ったことを後悔しそうになりました(笑)
でも、このQ&Aを読むうちに主人公の海藤という作家が一体どんな人間なのかが気になってしまって、なんだかんだ最後まで読んでしまいました。主人公に魅力があるというわけでもないのに、不思議です。

海藤正夫は、デビュー作が新人賞を受賞し、売れ行きも好調、印税がどんどん口座に振り込まれるという幸運に恵まれた作家。ところが、受賞後の作品はいまいちで、今は新たな小説を書くわけでもなく、大金をばらまき、酒と女に溺れる日々を送っている。想いを寄せるお姉さんにはいつまでも自分の気持ちを伝えることなく、ただお姉さんのお店「ポール」に通いつめるだけでハッキリしない。一方、謝礼目当てに引き受けた講演では、「私はなぜ小説を書くのか。お金のためである。」とキッパリと言い切る。少なくとも私はこの海藤にまるで魅力を感じられませんでした。

デビュー作の印税のみに頼った海藤の放蕩の日々は長く続くわけもなく、やがて終わりを迎えます。現実と海藤の妄想が入り混じり、やがて海藤は転落の一途をたどります。何だかものすごく読後感の悪い小説だと思われそうですが、意外にもラストはさっぱりとした清々しさを感じられました。

うーん。これは好きとは言い切れないけれど、ちょっとクセになる感じの小説ですね。佐藤正午のエッセイだけでなく、小説ももうちょっと読んでみようかな。

WEB本の雑誌の「作家の読書道」で山本文緒さんが、好きな作家について「私には"小説の神様"が二人いるんです。東の村上春樹、西の佐藤正午。」とおっしゃっていました。さらに「佐藤正午さんは最近の『5』や『アンダーリポート』も好きだし、『彼女について知ることのすべて』は、人生で一番好きな本です。もう、何度も何度も読んでいます。」とも。「人生で一番好きな本」なんて言われると『彼女について知ることのすべて』を読んでみたい気がします。文庫化されてるし、またの機会に読んでみようかな。

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